ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

英語の勘所 (8)

前の記事の補足である。

 英語動詞の「現在形」はもちろん、現在のことを示すものではない。

There times three equals nine. (動詞はequal) 

は別に今だから正しいことでなく『茶目子の一日』が歌われた時代だってそうだったろう。

The train leaves at seven tomorrow morning. 

列車は明日の朝、出発するのであって現在のことではない。

いま、眼の前にある橋が急に爆破されたとする。その瞬間は過去形や現在完了で語るしかあるまい。

The bridge exploded!

結局、重要なことは「現在形」は現在においてなにか「不変」な状態のものしか表現できないということである。最初の例は現在も不変に真だとされるものだし、二番目は「明日朝7時、電車が出発するという予定が現在確定している」ということである。三番目は、現在形は現在まさに刻々と変化している相は表現できないことを端的に語っている。

このように現在形は「変わらない」ことに関わっている。新聞や雑誌に載っている写真のキャプションが現在形で書かれるのは、その映像が静止してしまっているからに他ならない。映画や芝居の台本のト書きも現在形で書かれるのは、台本自体は毎回その筋書き通り演じられることを想定しているからだ。これは商品の説明書や道案内や料理のレシピなどでも同じことだろう。野球中継の「ショートの横抜けます」はアナウンサーの頭の中で想定しているシナリオにもとづいているのであって、現実には遊撃手が横っ飛びで球を捕球するというファイン・プレーが起こりうるのだ。そしてそのときには、「あ、捕った! 捕りました!」と過去形で語られる。

He walks everyday. 

と現在形で書くとき、「散歩の習慣」という「変わらないこと」が取り出される。 

He is walking. 

といった現在進行形の中にある is という現在形は「歩いている」という活動が一定期間続けられていることを示している。

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過去形については前の記事ですでに触れたが、「現在」とは異なり、「過去」は際限なく広がっている。その「時」がいつかは、あたり前だが動詞の過去形を見ただけでは特定できない。したがって、過去形の場合は文脈を検索することが求められる。

「時制の一致」というのは、複文において主文が過去であるときに 従文の時をどうあらわすかという決まりごとをいうらしい。 しかし、単文であろうが複文であろうが、過去形は過去の時間がいつかを特定する参照が求められる。過去時を参照するために、 過去形を使うのだ。特定の必要がなければ、過去形にしない。 

 コロンブスは地球が丸いことを証明した。

という場合、「コロンブスは証明した」が主文で「地球が丸い」が 従文となるが、ここではその従文は「変わらない真理」であって、 それがいつ成立したかなんて過去時が必要ないとすれば、従文はお変わりないことを示す現在形のままでよい。

Columbus proved that the earth is round.

ところが、当時コロンブスだけが「地球が丸い」と信じており、彼以外は信じていなかったとすると、従文は主文へその時への参照を求める。

Columbus proved that the earth was round.

過去完了形について触れておくと、それは現在完了形と異なり 「過去形」の一種である。したがって、過去完了の場合は、過去がいつかを特定できる参照が必要となる。過去形と異なる点は、その参照した時点を基準としてそれよりも前に出来事が起きたことを示すことである。 また現在完了とちがい、過去完了は出来事が起きた時間をたとえば 「参照時より3日前」といった風に基準時からどのくらい前だったかを特定しても構わない。

Ann said that she had panicked when the milk boiled over.
 アンは、ミルクが沸騰してしまってパニックになったといった。

過去形の参照は階層的である。最初の said は従文を参照せず、上位である他の文脈を参照する必要がある。次の “had panicked” は、基準時として上位の主文 “said” の時を参照し、過去完了だから「パニックになった」のはその基準時よりも前のこととして定まる。最後に、boiled は When 従属節にあり、主文の  “had panicked” の時を参照している。

以下にある三つの例文をみてみる。

1) John said that Harry was leaving tomorrow.
2) John said yesterday that Harry had left three days ago.
3) John said yesterday that Harry left three days ago.

1) で重要なのは、過去形は過去をあらわす語は参照するが、未来をあらわす語は参照しないということである。したがって、 “was” はtomorrow という語を参照できず、 主文の時を参照する。結論として、「(発話された現在からみて) 明日、ハリーは出発する」。もし、said の時から見て tomorrow といいたいのであれば the next day などと言い換えが必要となる。

2) の例は、過去完了 “had left” が使われていおり、同じレベルに “three days ago” があるので、基準時からのズレは 3 日前である。基準時自体は、“John said yesterday” の時を参照する。その 基準時は「昨日」である。昨日から 3 日前だから、結局 4 日前にハリーは出発した。

3) の例では従文の過去形 left は同じレベルの “three days ago” を優先的に参照する。したがって、ハリーは、発話された現在から 3 日前に出発し、それを言ったのは 1 日前である。

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日本語では、主文も従文もともに未来の出来事であり、従文が主文よりも前に起きると「た」を使う。

 家に帰ったら、ジーパンに履き替えます。
(「家に帰る」が従文。「ジーパンに履き替える」が主文)

ところが、従文が主文の後の出来事の場合、従文に「た」は使われていない。

  宿題をする前にテレビを見よう。

英語にもちょっとだけ似た癖がある。

  I will leave here before he comes.

それは、従文に will を使わないという癖である。

主文が過去形の場合の注意として、

I left here before he came.

をわざわざ、

 I had left here before he came.

と過去完了で書くことは普通しないのが慣習である。この例だと came が主文の時を参照する際に before を通過するため、時がずれてしまうことが過去完了にしなくてもわかる。他にも過去から未来へ素直に文が記述されていく場合、過去完了でなくても過去形のままでわかる。ところが、以下のような例では、過去完了を使わないと時間のズレ (before) が示されない。

 We had all just gone to bed when the telephone rang furiously.

最後に、

   I will leave here before John comes.

を発話時点が過去の間接話法にすると、

Tom said that he would leave there before John came.

のようになる。will は過去形の would に変わることで主文の時を参照するし、come も過去形になって before を経由して would の時を参照する。

なお、仮定法は時間の参照をしない。以下は、仮定法現在の例である。

 He suggested to Susan that she have a rest.
ちょっと休んだらとスーザンに言った。