ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

赤いハンカチ

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『乳と卵』を読んでいたら「赤いハンカチ」という言葉がでてきて、そこからのあいかわらずの脈絡のなさで、1964 年の日活映画である『赤いハンカチ』(枡田利雄監督) を DVD で見てしまった。ただし、石原裕次郎が歌った『赤いハンカチ』がヒットしたことで企画された映画の方の『赤いハンカチ』には、「赤いハンカチ」は出てこない。出てくるのは「白いハンカチ」だけである。その「白いハンカチ」は、「一日中机に座って算盤を弾いているよりも体を動かしている方がいい」という理由から工場作業員として働いている浅岡ルリ子 (当時 24 才) が、朝の工場への通勤の際に着ているオーバーから取り出されるものであり、彼女はそれを用いて一緒に並んで歩いている刑事役の石原裕次郎の左眼に入った砂埃を取り除いてやるのだ。だからといって、この石原裕次郎と浅岡ルリ子の親密度があがったことを物語る細部が「主題化」されているとまでは言い難く、敢えていうならば、映画の最後の警察署の中庭のセットのシーンで、石原裕次郎が「左眼」をつぶって銃の照準を合わせていることに関連を見るぐらいだろう。

スタジオ・システムがまだ機能していた時代の枡田利雄の作品は面白いが、その面白さは主題体系の豊かさといった側面よりも説話体系の旨さからくるものだろう。その「語り」の旨さは「異化効果」とでもいえば良いのだろうか。典型的なのは、森川信が演じる屋台の老人 (= 浅岡ルリ子の父) の死を詫びるために石原裕次郎と二谷英明が浅岡ルリ子の新しい職場である鉄工所を訪れた際に浅岡が、

過失、そう言えばあなたは自分を許せるんですか?

といったとき、カメラが浅岡の顔にズームし、その言葉に「ショック」を受けた石原の歪んだ顔のアップのすぐ後に、鉄工場の鉄を鍛える機械のハンマーが落ちる画面と一緒に「ガーン」という音のインサートが入るようなところである。密かに「ハンマー・ショット」と名付けたこのインサートは明らかに石原の受けたショックを強調する働きをもっており、驚くべきことにこのシーン以外でも何回か使われるのである!なお、ここでの異化効果はこれに留まるものではなく、いくら鉄工所で労働しているからといって、日活撮影所生え抜きの看板女優の顔をここまで黒く汚し、汗で光らせなくてもよいではないかと思うのだが、後に二谷と結婚して裕福な人妻となるイメージを強調するためには、ここでこのくらいの演出が必要という判断なのだろう。

そのような「異化効果」は作品の至るところに見られ、それを見つけるのは楽しみである。冒頭、榎木兵衛が演じている麻薬の運び人が逃走する際に車に跳ねられて死んでしまうが、交通事故にあった瞬間、今まで人気のなかった通りからあっという間に人がどこからもなく現れて群がるところはその「異化効果」である。屋台の老人が警察の取調室で二人の刑事 (石原、二谷) から訊問を受けている場面で、天井からの俯瞰で石原が扉をあけて外の床におかれた三本の牛乳瓶 (懐かしいあの瓶の形!) を持ち上げ、その一本を容疑者である屋台の老人の前に置いた瞬間にショットが切り替わるアクションつなぎのところなんかは、アクションつなぎそのものが現在の映画から消えようとしているので息をのむが、ここで裕次郎が白い冷たそうな牛乳を飲むのは、屋台の老人の「娘が心配しているだろうな」という台詞がきっかけで切り替わる次の「お豆腐やさん」の場面で、ルリ子が振舞った湯気が立っている「おみおつけ」を裕次郎が立ったままで飲み、「ヘソまであったまる」という場面と対比させて、その「温かさ」を強調するためだろう。なお、この場面は浅岡と老人の家のセットと浅岡が微笑む口元から見える八重歯が素晴らしい!また、アクションつなぎでいうと、石原と浅岡がホテルの階段を一緒に下りてきて、石原が金子信雄の刑事から手錠をかけられるところも忘れがたい。「異化効果」の他の例としては、金子信雄が最初に登場する工事現場の飯場のシーンでの「炎」と戸外の「雪」との対比もそうだし、「炎」といえば、後半の二谷 (と浅岡) の豪邸での石原と二谷の乱闘シーンにも見られるが、これは格闘の強調であろう。横浜共済病院のみすぼらしさと二谷の豪邸の対比や、浅岡の毛皮のコートなんかもそうである。また、浅岡と石原のキスシーンで石原が「いまじゃない」というと突風でホテルの部屋の窓がいきなり開くところとか、ネグリジェを着た浅岡が黒いバッグから拳銃を取り出して二谷に向かって構えたり、格闘シーンで鏡に石原の顔を映し倍化させるのも「異化効果」と言えるかもしれない。

「異化効果」の例はこれぐらいにしておいて、「物語の時間」を大胆に省略する語り方がある。浅岡が石原が抱えていた紙袋に入ったセーターを受け取りそれを水たまりに捨てて、鉄工所の仕事に戻っていくと、その水面に呆然と立ち竦む石原の姿が映っている。どこからともなく吹いてきた風が水面を揺らし石原の姿を消すと、「四年がすぎて—」の字幕が出て、発破で山の斜面が爆破されるショットが入り、舞台はあっという間に四年後の北海道へと移る。この水面に落ちる紙袋に入れられたセーターは、物語を語る上で執拗なまでに映画の中で利用されていて、この映画の重要なアイテムの一つである。

キャロル・リードの『第三の男』(The Third Man, 1949) がどこに引用されているかは、『第三の男』という作品を思い出すことが楽しくないので一切書かない。

後は本当の細部に過ぎないが、単発的にひっかかったのは笹森礼子が自分の父 (桂小金治) を「ノンキナトウサン」というところとか、ナイフの飛び方がなかなかいいとかであった。

 

赤いハンカチ

赤いハンカチ