時間があったので、『スイング・ホテル』(1942) に出ていた女優マージョリー・レイノルズがレイ・ミランドの相手役として主演しているフリッツ・ラング監督の『恐怖省』(Ministry of Fear, 1944) か、マーク・サンドリッチ監督の作品をもう一本ということで『踊らん哉』(Shall We Dance, 1937) かのどちらかを続けて見ようと思って結局後者にした。
『踊らん哉』はもちろんフレッド・アステアとジンジャー・ロジャーズのコンビが残した傑作であり、その音楽やダンスの素晴らしさは今さら説明も要らないと思うが、今回、この作品を見直して強く感じたのは、作品の主題の現代性についてであった。複製が大量に出回ることでオリジナルを逆に複製の方が規定してしまう事態についてはすでに何回も触れたが、この作品はまさにそのことを主題にしている。ゴシップ紙の報道は常にアステアとロジャーズの間の関係を先回りして報道してしまい、実際の二人の関係はその虚偽の報道によって動いていく。新聞に報道される写真は、ロジャーズの複製である人形だし、最後の “Shall We Dance” のシーンは、文字通りロジャーズの仮面をつけた踊り子が多数登場し、そのロジャーズの仮面をつけた踊り子の一人にやがて本物のロジャーズの顔が紛れこむ。前の記事でも述べたが、マーク・サンドリッチの作品がしばしば正当な評価を受けないのは、映画におけるプラトニズムを転倒させているその現代性のためだと思う。
周辺的な話題であるが、フレッド・アステアは、RKO 映画の前は姉のアデールとコンビでブロードウェイで踊っていた。
アデールはやがて英国の貴族と結婚したためコンビは解消したのである。この映画に音楽を提供しているジョージとアイラのガーシュイン兄弟が最初にブロードウェイのために曲を作ったのが “Lady, Be Good” であるが、このミュージカルにフレッドとアデールは出演していた。実際、フレッドが歌いかつタップの音を響かせ、ガーシュインがピアノを弾いているレコードが残っている。この作品でアステアは久しぶりにガーシュウィン兄弟と仕事をしたのである。
フレッド・アステアとジンジャー・ロジャーズのコンビがはじめて「主演」した作品はマーク・サンドリッチ監督の『コンチネンタル』(The Gay Divorcee, 1934)であり、本作は『コンチネンタル』から数えると六作目の二人の共演ということになる。『コンチネンタル』でコール・ポーターの “Night and Day” を歌ったアステアが、優雅なステップを踏みはじめる瞬間は見るたびに、ただ、ただ素晴らしくこのカップルの真の始まりはこの瞬間であると感じさせる。
『踊らん哉』のナンバーはいずれも素晴らしいが、“They Can’t Take That Away From Me” を紹介して、他の歌手によるものもあげておく。例によって、アステアが歌ったときにはあったイントロのヴァースは消えている。なお、アステアの歌の後で紹介されているダンスは、チャールズ・ウォルターズ監督の『ブロードウェイのバークレー夫妻』(The Berkleys of Broadway, 1949) からのもの。
個人的には下のナンバー (Let’s Call the Whole Thing Off) がお気に入りである。
二人のダンス。もちろん見れば素晴らしいことはわかると思う。