あまり指摘する人がいないので。
二人の監督は同じ1909年生まれである。原節子と周璇も同じ1920年生まれであることはすでに書いた。山中貞雄は原節子が出演する『河内山宗俊』を1936年に監督した。袁牧之は周璇が出演する『馬路天使』をほぼ同じ時期の1937年に監督した。両作がそれぞれの女優が身売りを強要される話であることはいうまでもない。
『河内山宗俊』には原節子追悼の際に蓮實重彥が改めて触れていたように、原節子が登場するシーンで忘れ難い雪のシーンがある。『馬路天使』には、周璇が「天涯歌女」を歌う忘れ難いシーンがある。二人の監督の画面の演出は対極的といっていいほど異なっているが、二人の女優の存在そのものから映画という虚構が生成しているかのように感じさせるという意味では同じである。この場面で周璇は歌っているが台詞は一切ない。原節子は弟に平手打ちをくれるだけで、やはり台詞は一切ない。
人は「メディア戦略」だの「秀れたコンテンツ」だのと抽象的思考をすぐに振り回すが、日本と中国の30歳にも達していない演出家の作品を見れば、それは一人の神話的女優をどうやって生み出すかということにかかっているということがわかるだろう。