ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

画角にまつわる話

アルフレッド・ヒッチコック監督は、 50 mm の焦点距離のレンズにこだわったと言う人がいるが、この場合気をつけてそれを受け取らないといけないのは、「画角」はもちろんレンズの焦点距離だけでは決まらないということである。ヒッチコックの場合は、撮影したネガがスティル写真の 35 mm のフルサイズにかなり近い「純正」のヴィスタ・ヴィジョン方式で『めまい』(Vertigo, 1958) も撮影しているし、映画用スタンダード・サイズで『サイコ』(Psycho, 1960) も撮影しているからだ。両作品を比較して見ると、『サイコ』は明らかにスタンダードでほとんど 50 mm のレンズを使った絵であるように見える。『めまい』の場合、ズームもあるが基本は 50 mm のレンズだと思うのだが、明らかに画角が広くなっているのが確認できるだろう。画面の印象は『サイコ』とはかなり異なっている。

これが、小津安二郎監督であれば、生涯スタンダード・サイズ以外を頑なに拒んだ人なので、ある時期からほとんどすべてのショットを 50  mm の固定焦点のレンズで撮影したということには重要な意味がある。もっとも、映画用 35 mm スタンダードの 1 フレームの撮像サイズは 20.3 mm x 15.2 mm であり、今でいうと デジタル・カメラに使用されている APS-C サイズの撮像素子のサイズ 23.4 x 16.7 mm にアスペクト比は異なるものの、どちらかといえば近い。同じ135 銀塩フィルムを使っていても、フレームの縦横の取り方が異なる静止画フルサイズの 36 mm x 24 mm とは画角が異なる。APS–C のカメラに使用する場合、35 mmフルサイズ換算では実際のレンズの焦点距離を約 1.6 倍しなさいと言うが、これはスティル・フルサイズと映画スタンダードの関係でも同じことで、小津が 50 mm の固定焦点のレンズを使ったと言うことは、静止画の写真でいうと標準よりも望遠寄りの 80 mm 相当の焦点距離のレンズだけで後期の作品のほぼすべてのショットを撮ったということを意味する。

銀塩スティルカメラで、50 mm の焦点距離を「標準レンズ」と呼ぶのは、人間の視覚の画角にもっとも近いからだという、いかにも「わかりやすい」嘘の説明をよく見るが、人間の視野は、ぼんやり見るときと注視して見るときでも明らかに違う。また、人間の視野は動くものを見るときには一般に狭くなる。物事を注意深く見たり、動くもの、変化するものを見るときの画角が映画の標準画角であろう。

後期の小津さんがやや望遠側の 50 mm レンズを使用したのは、ロー・アングルの撮影なので、幾何学的歪みがより目立ちにくい長焦点になるべくしたいということが当然あったのだと思う。望遠気味のレンズでは、画面の奥行きは詰まった感じになる。それは、不動産の広告で部屋を実際以上に広く見せるために広角レンズを使って撮影するのとまったく逆の方向である。


シネマスコープのようなフォーマットは、50 年代以降の映画の衰退期において、その「見せ物化」に貢献した。女性の裸体や暴力の描写と同様、広がった画面の周辺視野からの視覚刺激は「ビジュアル」として、より直接的な肉体的刺激を提供するのだろう。人は何かを注意深く見守るものとしての視線を放棄し、ただ映像に周囲を取り囲まれ、大音響の中で自分を忘れてしまうことに快楽を見いだしたのかもしれない。人は映画を見ることを止め、それに支配されることを望んだのだ。

アンソニー・マン監督がジェームズ・スチュワートとコンビで撮りあげた傑作西部劇は、全部で 5 作あり、年代順にあげてみると以下のようになる。

1.ウィンチェスター銃’73 (Winchester '73, 1950 )
2.怒りの河 (Bend of the River, 1952)
3.裸の拍車 (The Naked Spur, 1953)
4.遠い国  (The Far Country, 1954)
5.ララミーから来た男 (The Man From Laramie, 1955 )

50 年代は、シネマ・スコープによる画面の大型化が導入され、同時にカラー映画の製作比率もあがってきて、50 年代中頃までには米国では 40 パーセントほどがカラー作品になっている(日本ではおそらく 20 パーセント程度)。1953 年、20 世紀フォックスはヘンリー・コスター監督の『聖衣』(The Robe) によってシネマスコープの採用を始め、1954 年にパラマウントがヴィスタ・ヴィジョンを採用している。マリリン・モンローが出演する『帰らざる河』(River No Return, 1954) もシネマスコープ作品であった。

前記したマンとスチュアートの西部劇、5 作品について具体的にその辺りをみてみる。

1950 年の『ウィンチェスター銃’73』は、白黒映画で、画面のアスペクト比(横:縦)は、1.37:1 

1952 年の『怒りの河』は、テクニカラー映画で、画面のアスペクト比(横:縦)は、1.37 : 1

1953 年の『裸の拍車』も、テクニカラー映画で、画面のアスペクト比(横:縦)は、1.37:1

1954 年の『遠い国』は、テクニカラー映画で、画面のアスペクト比(横:縦)は、2:1

1955 年の『ララミーから来た男』は、テクニカラー映画で、画面のアスペクト比(横:縦)は、2.55 : 1(シネマスコープ)

アンソニー・マン監督の場合、画面の横方向の広がりは、業界が時代の要請で対応しなければいけないものであり、作品の内容にもとづく選択ではない。マンの映画を見たものは誰でも気がつくように、斜面や絶壁といった空間構造を活用した演出が非常に多い。その印象は、水平方向の演出が醸し出す「開けた」雄大な感じというよりは、まるで 50 年代という時代の雰囲気にも通じる「閉ざされた」空間という印象の方が強い。マンは、その閉ざされた空間を単なる構図として活用するのではなく、活劇として活用する演出によって、大画面化によってはじまった映画の「見世物化」に逆らっていた監督といえると思う。


いつも使っている iPhone に搭載されているカメラの撮像センサーのサイズを調べてみると 4.8  x 3.6 mm だそうで、アスペクト比としては 1.33 : 1 となって、これは由緒正しい映画のスタンダード・サイズのアスペクト比である。スタンダード・サイズは、Academy Ratio と呼ばれるサウンド・トラックも考慮した 1.375 : 1 が決まる前は、SMPE (Society of Motion Picture Engineers; 現 SMPTE 米国映画テレビ技術者協会) が提案した 1.33:1 であった。

この 受光素子のサイズ 4.8 X 3.6 mm というのは、映画用 8 mmフィルムの一コマとほぼ同じサイズである。ちょっと前の映画作品の題名にもなった『スーパー 8』を始めとして、8 mm フィルムにはいくつかの規格があってコマのサイズは一定していないが、iPhone の撮像素子の大きさはその範囲内に収まっている。当時一番安物の固定焦点の 8 mm キャメラの焦点距離は12 mm であったと思う。これは映画の 35 mm スタンダードの画角に換算すると約 50 mm の焦点距離に相当する。ちなみに僕の iPhone のモデルについているカメラの光学レンズは光学ズームのない固定焦点の 4.15 mm であり、標準レンズ相当にするには 2 倍、80 mm 近くにするには 3 倍近く拡大しないいけない。また、あたり前だけど念のために断っておけば、スマートフォンのカメラでは実焦点距離が短く、背景をぼかしたりするのは、アプリを使って後処理しない限り無理である。

一方、APS-C のカメラで 50 mm のレンズだと、そのぼけ味は映画のぼけ味と同程度にはできる。APS-C の一眼の本体だけだったら、中古で 1 万円ぐらいであるし、固定焦点の 50 mm のレンズも 1 万円代からあるだろうし、ちょっとお金を出せば素晴らしいレンズが入手できる。小津の映画作りの方法は、現在ではもっとも経済的にある水準以上の絵作りができる方法と言えるのではないだろうか。僕は、静止画で「でかい」といわれようとも気にせず 50 mm 一本で片付けている (東京ビッグサイトの全景は撮れないけど)。

 

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※ 『晩春』(1949)

 

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