前回の記事を少し補足しておくと、初期のトーキーはサウンド・トラック(Sound on Film方式) ではなく、別にレコード・ディスクを用意して、フィルムの動きと同期を取るものだった(Sound on Disk 方式)。そう考えると、トーキーとは、映画とレコードというメディアが結合したという視点もありえよう。さらに、ラジオと融合したのがテレビと言えるのかもしれない。
決定的に重要なことは、映画は 1895 年から 1920 年代のある時期までは、音なしで撮影されていたという点だと思う。これはテレビという媒体と決定的に違う点である。つまり、純粋に視覚媒体として生まれ育った時期を持っていたかいなかったかという点である。映画はあくまでも「視覚媒体」としてこの世に生まれてきて成熟するまでは「視覚媒体」だったのであり、音は後天的なものに過ぎないということだ。たとえば、蓮實重彥はたとえドキュメンタリーであっても映画の画面に音声を拾うピンマイクとそのコードが見えたことに苛立ちを隠すことができない。
映画史は、その監督に無声映画の演出経験があるかないかで決定的な違いが生まれることを残酷なまでに峻別している。小津安二郎や、溝口健二や、成瀬巳喜男は巨匠であり、黒澤明は間違っても巨匠ではない理由は単純に黒澤の監督処女作、『姿三四郎』(1943) がトーキーであったところから来ている。
そういう意味で、テレビが「視覚媒体」というのは嘘だと思う。どちらかというとラジオからの遺伝が強い「言語媒体」で、映画からは劣性遺伝ではないかと思う。ゴダールに言わせれば、テレビというのはたいした情報もないのに大騒ぎをして、多くの言葉を費やすものである(日本の場合は、最近余計な文字まで費やしている)。テレビの視覚要素とは、音声や文字の付け足しに過ぎないのである。それに対して映画は、多くの言葉を費やさなくても視覚だけで多くの情報がある。
映画はやはり「視覚媒体」として大人になったということは否定できない。たとえば、映画では「1ショット毎に全部照明を替える」ということがある。たとえば、小津は座っている三宅邦子が立ち上がる際の「アクションつなぎ」を撮るだけに1日をかけている。この場合、もちろん三宅邦子は一回の演技で立ち上がっている訳ではなく、何回も演技をして別々のポジションで撮影する。それをアクションつなぎとして編集するわけだが、ショットとショットの間で画調が変わらないように繊細な配慮をしながら、各ショットで照明を変えていく。テレビでは照明もそのままだし演技も一回で、編集とは複数のカメラをスイッチングすることに過ぎない。その違い、その贅沢さ、たった数ショットを「見る」ということに、なぜここまで丹精込めるのかと思わせるものが映画なんだと思う。
※ 『シルビアのいる街で』(2007) でムルナウの『サンライズ』(1927) の市電を引用してるホセ・ルイス・ゲリン監督は「映画はテレビと違い、常に記憶を意識します」とインタビューで答えている。