ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

シンクロ


「Tea for Two (2)」の記事で Green Brothers Novelty Band が、映画『蒸気船ウィリー』(1928) の音楽を担当していることを紹介したが、この有名な鼠のキャラクターが最初に登場した短編アニメーションは、音と画像がシンクロするって素晴らしいでしょうというような作りになっている。

エミール・ベルリーナが円盤式のレコードを特許申請し「グラモフォン」と名付けたのは、1887 年であり、リュミエール兄弟による映画の発明が 1895 年、米国のラジオ放送が一般向けに開始されたのはピッツバーグの 1920 年のKDKA 局の放送が最初である。そして複製技術としての音と画像が満足にシンクロするのは、トーキーの出現を待たねばならなかった。トーキーのサウンド・トラック方式がどんなものだったかを知らない人は、次の動画を見ると良いと思う。

このサウンド・トラックの原理を実用化しようとした最初の人は、三極管 (真空管) の発明者でもあるリー・ド・フォレストである。彼は三極管の発明の権利を AT&T に売却し、ほぼ都市部を独占していた電話交換機用にベル研が開発し優れた品質管理も行われた真空管を流用して設計されたアンプを含む映画用音響システムにより、AT&T の製造部門であるウェスタン・エレクトリック社は当時の映画の音の再生をほぼ独占する。いまでもウェスタン・エレクトリックの映画用音響システムは、その音質の良さからオーディオ・マニアの垂涎の的になっている。

音と画像が一致することで映画が作れてしまった例は、次のビング・クロスビーが映画に初出演したマック・セネットの短編作品 “I Surrender, Dear” (1931) もそうであろう。今、見ると何が面白いのかよくわからない作品だが、ラジオ放送の隆盛でクルーナー歌手として有名になっていたクロスビーの声と実際のクロスビーの姿が一致するということがこの作品の唯一といって良い物語的興味になっている。当時のラジオでクロスビーが歌うのを聴いていた人も、映画で実際のクロスビーがどんな人かを確認するのが楽しみでこの作品を見たに違いないと思う。