ジョン・フォード監督『リオ・グランデの砦 』(Rio Grande, 1950)。
原題の ”Rio Grande”はテキサス州とメキシコの国境をなし「リオ・ブラボー」とも呼ばれる川のことだが、それにはジョン・ウェインとモーリン・オハラの夫婦の間にできてしまった隔たりまでが暗示されているのだろう。したがって、邦題は素直に「リオ・グランデ」の方が良いように感じられる。
ジョン・ウェインとモーリン・オハラが共演したのはわずか 5 本に過ぎず、フォード作品では 3 本に過ぎない。このカップルによる作品がもっと残っていればと映画ファンなら誰もが思うであろう。
この作品のとき、モーリン・オハラはまだ29歳でありながら、ジョン・ウェインの妻でもあり、クロード・ジャーマン・ジュニアの母親でもある高貴な女性の役柄を見事にやってのけている。
ジョン・ウェインとモーリン・オハラが二人寄り添って ”I'll Take You Home Again, Kathleen" を聞いているシーンは忘れ難いが、この曲を歌っている一人にケン・カーティス(1916 - 1991, Ken Curtis)がいる。彼はジョン・フォード監督の義理の息子にあたる。映画入りする前はトミー・ドーシー楽団の歌手であり、同じドーシー楽団に在籍していたフランク・シナトラの代役を勤めたこともある。そもそもドーシー楽団に彼を紹介してくれたのは、最近の映画『キャロル』で "No Other Love" が使われている 50 年代の代表的な女性歌手の一人、Jo Stafford であったいう。
この映画の製作はフォードが、盟友である RKO のメリアン・C・クーパーと 1939 年に設立したアーゴシー・ピクチャーズで行われた。1940 年に『果てなき船路』が製作された後、大戦によって製作活動はいったん中断されていたが、『逃亡者』(47) をもって再開される。『アパッチ砦』(48)、『三人の名付け親』(48)、『黄色いリボン』(49)、『幌馬車』(50)、『リオ・グランデの砦』(50)、『静かなる男』(52)、『太陽は光り輝く』(53)といった騎兵隊三部作を含むフォードの重要な作品群がアーゴシーで製作されることになるだろう。
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