ロバート・Z・レオナード監督の『巨星ジーグフェルド』(The Great Ziegfeld, 1936) は、舞台演出家、プロデューサーであったフローレンツ・ジーグフェルド・ジュニアをウィリアム・パウエルが演じた伝記映画である。
トーチ・シンガーであったヘレン・モーガンは、すでに別の記事
で紹介したように、黒人の血が混じっていることで迫害を受けるジュリー役としてブロードウェイの大ヒットミュージカル 『ショーボート』のオリジナル公演に出演した。このブロードウェイ作品『ショーボート』をプロデュースした人こそ、ジーグフェルドである。本作品でもそのことが取り上げられており、“Ol' Man River” のメロディーもこの映画の中で流れる。もともと、ヘレン・モーガンは、1923 年にジーグフェルドが制作した舞台にコーラス・ガールの一人として出演していたところをジーグフェルドによって抜擢されたのである。
上映時間は 177 分で、大体のことをいえば、全体の約三時間の長さを一時間ずつ三部に分けて、ジーグフェルドの人生の重要な節目を時間軸に沿って描いていくという構成となっている。
古典的ハリウッド映画は、スタジオシステムにもとづく経済効率を重視した映画製作をしているので、基本的に物語を語る際には、必要最小限で無駄のない画面を繋ぐことで達成しようとする。物語を伝えるのに必要のない装飾的なヴィジュアル要素は極力そぎ落とされることになる (ただし、女性の美しさを伝えることはほとんどの場合必要なため、その努力が省略されることは通常ない)。
といっても、この MGM 作品のようにその原則から外れる例外は存在する。まるで、いったんヴィジュアルでやると決めたのだからケチくさい金の使い方なぞはせず MGM の総力をあげて、観客が生まれて一度も見たことがない絢爛豪華な夢の世界へお連れいたしましょうと言っているような作品である。
「ジーグフェルド・フォーリーズ」呼ばれたジーグフェルドを最も有名にしたレビュー公演の絢爛豪華な様子を映画として更に豪華にした場面が見所である。そこに使用されたセットは、175 段の螺旋階段がついた巨大なケーキを模した回転するセットであり、当時の価値で 22 万ドルかかっているそうである。2016 年の現在価値で計算すると日本円で 4 億円相当になる。美術は、セドリック・ギボンズ、エドウィン・B・ウィリス、エディ・今津といった名前が確認できる。セットの底辺部の直径は 21 mあり、重量は 100 トンあったそうである。そのセットの螺旋階段に沿っていったい何人の美女たちと男性陣が配されていたのか数えることなどとても不可能だが、そのセットが静かに滑らかに回転するのである。
この場面、アーヴィング・バーリンが作詞・作曲した “A Pretty Girl Is Like a Melody” が歌われるところから始まる。1919 年のジーグフェルド・フォリーズのために作られたこの曲を当時の歌手 John Steel が歌ったものを紹介しておく。
歌が終わると巨大な幕があがり、ワンシーン・ワンショット(正確にはフィルムの尺の関係でカットは一回入っている)で撮影されるキャメラが螺旋階段の一番下から上までだんだんと上昇していき、絵巻物のように次々と繰り広げられるエピソードを順に捕らえていく。ケーキの一番上にいる美女はヴァージニア・ブルースで、彼女はこのケーキの一番上に立った女優ということでもっとも記憶されるだろう。ケーキの全体像は一番最後にキャメラが引かれるまでは分からない。
ベニー・グッドマンとヘレン・ウォードで、この場面に使われた曲 “It's Been So Long” も紹介しておく。
後は簡単にいくつか書くことにする。
豪華な衣装デザインは、エイドリアンによるもので、250 人の仕立屋が雇われたという。
30 年代のフォード映画 (『プリースト判事』 (1934)、『周遊する蒸気船』(1935)
でおなじみのウィル・ロジャーズが投げ縄をもったカウ・ボーイ姿を演じておりこれは心に染みる(彼は 1935 年に飛行機事故で亡くなっている)。ロジャーズはニューヨーク市に旅したときに、マディソン・スクウェア・ガーデンで野生の牛が観客席を登り出したところを投げ縄で捕り押さえて、そのことが新聞の一面に掲載され、それがきっかけでボードビルで有名となり、1915 年秋にはジーグフェルドの舞台に出演するようになった。その舞台で、彼は物憂げに投げ縄を回しながら、ジョークを飛ばしていたという。「ジーグフェルド・フォーリーズ」では、幕間のつなぎのコントをやっていたそうであるが、投げ縄の技と風刺の的確さで有名になり、やがてスターになってしまうのである。
ジーグフェルドという人、もちろん映画製作には関係していないが、ハリウッドのトーキー化の際には多くの人材がブロードウェイから供給され、その中にはジーグフェルドが見出し育てた役者たちも数多く含まれているのだから、彼は間接的にハリウッド映画に多大の貢献をしているのである。たとえば、『突貫勘太』(1931)
のエディ・カンターもジーグフェルドが有名にした一人である。
ジーグフェルドの最初の妻であるアンナ・フェルド役をやっているルイーゼ・ライナーは、この作品と翌年の『大地』(1937) で二年続けてアカデミー主演女優賞をもらっているが、受賞を巡ってはいろいろなことを言われている。出身はドイツで、マックス・ラインハルトによって見いだされた女優であり、クリフォード・オデッツと結婚したことでも知られている。映画の中で、彼女が演じているアンナ・フェルドが、20 ガロン(1 ガロン = 3.8 リットル)の牛乳をジーグフェルドから贈られて、そんなにたくさんいったいどうやって飲むのと彼女がジーグフェルドに尋ねると、飲むのではなくて、牛乳風呂に入るために使うんだとジーグフェルドが説明するところがある。ジーグフェルドが、アンナ・フェルドの売り出しのために、彼女が牛乳風呂に入っていると宣伝したのはどうも事実らしい。