YouTube にあるナンシー・シナトラの例のクリップは、すでに一億回の視聴を超えており、その数は日本の現在の人口に匹敵しつつある。
These Boots Are Made for Walkin’:
その数字をみると「なんだ、もっと正直になればいいのに」という感慨に捉われる。そんなに、異常者呼ばわりされることが怖いのだろうか。
1950 年代「以降」とそれ「以前」を区別することは、歴史的に見て「戦前」「戦後」の抽象的区別よりも遥かに重要であると思う。50 年代より前には、明らかに表現の「特異点」というべきものは女性の「脚」であった。それは、50年代以前の特に黄金期のハリウッド映画を見ているものにとって、今さら指摘するまでもない事実である。
『港々に女あり』(1928) のルイーズ・ブルックス
『緋色の街/スカーレット・ ストリート』(1945) のジョーン・ベネット
『戦場よさらば』(1932) のヘレン・ヘイズ
『教授と美女』(1941) のバーバラ・スタンウィック
『特急20世紀』(1934) のキャロル・ロンバード
『嘆きの天使』(1930) のマレーネ・ディートリッヒ
以下のクリップは『男子入用』(1932) のケイ・フランシス。
ダンスにしても、脚の動きに比重のあるチャールストンが流行した。
以下のクリップは『四十二番街』(1933) のルビー・キラーのタップ・ダンスのシーンで、当時としては珍しいカラーである。
50 年代以降、つまりジェーン・ラッセルやマリリン・モンローといった「グラマー」の意味を変質させた女優の登場あたりから、「脚」の覇権は徐々に崩れ始め、より直接的な露出が顕著になり、いかにも若者が喜びそうな裸体そのものの「大胆な」露出によって、大人でも楽しめる女性の官能表現は姿を消していく。
ダンスにしても、60 年代のゴーゴー・ダンスに代表されるように足を動かさず、体幹部をくねらせる踊りが一般的となっていく。同じ時代に存在していたことが恥ずかしくなるような映像で、ここに引用するのも嫌でたまらないのだがクリップをつけておく。実際には、ほとんど動いていないにもかかわらず、映像のスイッチングで見せかけの運動を演出するという、いかにも 60 年代的な欺瞞的観念性に満ちている。
こうやって見ていくと、ナンシー・シナトラの最初の映像は極めて特別な例外なのかもしれないが、このことは現代における真のニーズはどこに存在しているかを示している気もする。
最後にタイトルからして「フット」が存在するロイド・ベーコン監督の『フットライト・パレード』(Footlight Parade, 1933) のレビューの一シーンを紹介して終わる。バスビー・バークレーが全盛期であった頃のプレコード時代の作品である。