ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

ドロレス・デル・ルオについて(5)

ジョン・フォード監督の『逃亡者』 (The Fugitive, 1947) は、ロケーションとスタジオ撮影の双方がメキシコで行われている。

その作品に出演したドロレス・デル・リオは、MGM の美術セドリック・ギボンズと 1941 年に離婚し、オーソン・ウェルズとの恋愛も破綻した後、1943 年には故国メキシコへ戻り、発展が著しかったメキシコ映画界の国民的女優として活躍をしていた。『逃亡者』は彼女にとって久しぶりのハリウッド映画への出演だったのである。

『逃亡者』の製作補として参加しているエミリオ・フェルナンデスは、メキシコ映画を代表する監督である。彼は役者としても、サム・ペキンパー監督の『ガルシアの首』(1974)、『ワイルド・バンチ』(1969) を初めとした作品に出演している。

エミリオ・フェルナンデス監督、ドロレス・デル・リオ主演の 1944 年の傑作『マリア・カンデラリア』(Maria Candelaria, 1944) は、ラテン・アメリカのフィルムとして初めてカンヌ映画祭のパルム・ドール (当時はそう呼称していなかったので正確にはグランプリ) に輝いた作品で、スペイン語だが YouTube で閲覧できる。言葉はわからなくても、その凄い画面の一部でもいいから見て欲しい。

この当時のドロレス・デル・リオはとりわけ美しい。マレーネ・デートリッヒには、リー・ガームスがいたように、グレタ・ガルボには、ウィリアム・H・ダニエルズがいたように、ドロレス・デル・リオには、撮影のガブリエル・フィゲロアがいた。フォードの『逃亡者』のキャメラも担当し、メキシコに移住したルイス・ブニュエルの作品をも担当したフィゲロアは、当時世界最高の撮影監督といっていいかもしれない。フィゲロアは、グレッグ・トーランドのもとで撮影を学んだこともある。フォードも、『逃亡者』の撮影の出来にはいたく満足であったらしく、フィゲロアと 3 年契約を結ぼうとする。しかし、フィゲロアが赤狩りのブラック・リストに載せられてしまったために、それは果たせなかった。

※ アカデミー賞の受賞式で受賞者に授与される「オスカー像」は、フィルムのリールの上に立った十字軍の騎士が、剣をそのフィルムのリールに突き立てるようにして立っているアール・デコ様式のデザインである。そのデザインは、セドリック・ギボンズによってなされた。1893 年に生まれたこのアイルランド系アメリカ人は、32 年にわたってMGM の美術として活躍し自身もアカデミー賞美術賞に 39 回ノミネートされ、そのうち 11 回受賞した人である。さらにそのオスカーの立像のモデルはエミリオ・フェルナンデスであるというのが通説になっている。

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