ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

雑記

久松留守

いつものことといえばいつものことなので、別に驚くべきことでもなんでもないが、「コロナ」というときならぬ流行を示している単語に感染した記事は、当然ながら面白いものが非常に少ない。しかし、「久松留守」に触れてくれたものが二つほどあった。ただ、…

自分が住んでいる町内には、1940 年から 1980 年ぐらいまで唐木順三が住んでいたらしい。なぜか急行が停まる最寄りの小田急線駅の、東口前にある案内看板にはそう記載されている—— 1940 年に古田晃によって創業された筑摩書房に唐木は臼井吉見、中村光夫とと…

レモン石鹸

インフォデミックを助長するような記事で申し訳ないが、新型だろうがそうでなかろうが感染症予防の基本として高度なエビデンスが存在しているのは手洗いであり、統計データはともかく、そんなこと小学生のときに習わなかったのかなあと思っていたら、バング…

Una Mae Carlisle

藤沢駅から長谷の大仏に向かって32号沿いを散歩していたときに、Fats Waller の “I Can’t Give You Anything But Love” を聞いた。1939 年の録音である。Fats Waller - I Can't Give You Anything But Love女性歌手は、ユナ・メイ・カーライル (Una Mae Carl…

Two Sleepy People

休日、鵠沼海岸から茅ヶ崎海岸までファッツ・ウォーラーを聴きながら散歩していた。“Two Sleepy People” という曲は、愛し合って睡れないカップルが睡るために結婚したけれども、やっぱり睡れないという他愛もない内容の曲だが、ホーギー・カーマイケルの作…

ああ、そうか (2)

発音とか聞き取りやっていると、ベトナム語だけでなく、いろいろなことに気がつくなぁ。今度は、日本語の五十音図で「あかさたなはまやらわ」と言ってみたら「や」だけ「あ」の発音が違う。この「あ」は英語の /æ/ で通用する。ベトナム語の ư は /ɯ/ だとす…

母音図

言語によって母音をいくつ区別するかは、本来連続スペクトルである虹の色を 3 色に分けるか、7 色に分けるかのようなものである。ベトナム語では、日本語の「え」に相当する母音として /e/ と /ɛ/ を区別し、「お」に相当する母音として /o/ と /ɔ/ を弁別す…

待ち遠しい

蓮實さんの『ジョン・フォード論』(序章) が明日発売の「文學界」に遂に発表される。さすがに待ち遠しい。手持ちのフォード作品の DVD の中から全部ではないが、30 本程は見直したばかりなので、読むための準備はある程度したつもり。ベトナム語の音に慣れる…

雑記

ベトナム語の /b/ と /d/ は、「非肺臓気流」による /ɓ/ と /ɗ/ で発音する人が多いとある。なんだ、この面妖な記号は?!と思い発音の解説を読んだら、わりと簡単にできるようになった。英語の /r/ を舌を盛り上げて発音する要領で、更に自分の舌を飲み込む…

Chênh Vênh

前の記事の "Chênh Vênh" の歌詞の意味に今度は挑戦してみたが、難しくて歯がたたなかった 。しかしながら初めて覚えたベトナムの歌なので記念に記事にしておこう。"Chênh Vênh" の訳は、「情緒不安定」だと最低のような気がするので「あてどない気持ち」(ま…

ベトナム語の発音 (3)

ベトナム語の発音の仕組みの基本が理解できたところで、歌唱ではいったい声調はどう処理されるんだろうかと興味が湧いて、Lê Cát Trọng Lý という人の Chênh Vênh というゆっくりした曲を聴いてみる。やっぱり、音符には音節単位に歌詞がついていて、そこに…

ベトナム語の発音 (2)

ベトナム語の発音と綴りの関係が面白いので引続きあれこれベトナム語の音を聴いていた。音節頭の子音の発音 [k] は文字 c, k, q で綴られているけれど、明確な規則性があって、後に続く母音が後舌母音ならば c で綴られているし、後に続く母音が前舌母音なら…

ベトナム語の発音

ほんのごく短い間だったけれど、仕事でハノイ(河内) に行っていた。ベトナム語はわからないけれど、中国語の影響を強く受けた東アジア漢字圏の言葉といって良いし、クオック・グー (国語: quốc ngữ) 文字という表音文字は非常によくできていて、音を示す記号…

対称性バイアス

前回の記事「古論理」を書いてから、この辺りのことを調べていたら、すごく奥が深いし拡がりもあることがわかった。だけど、いくらノリが悪いといっても、西田幾多郎とか、中村雄二郎の「述語的世界」とかの哲学をブログに書いてもなあ〜と思って、自粛して…

プルーストとラスキン

真屋和子という方による『プルーストの眼:ラスキンとホイットラーの間で』(1999) という論文をインターネットで読んで、これが境界線を逸脱する話でなんかとても清々しい気分になった。ジョン ・ラスキンがジェームズ・ホイッスラーの絵画『黒と金色のノクタ…

比喩

『映像の修辞学』でロラン・バルトが本当にそのような純粋状態の「意味」が単独にありえるのだろうかと留保をおきながらも仮説として採りあげているように、「比喩」とか「含意」とかといった「意味作用」を考える道筋は 、「字義通りの意味」という概念を出…

ブヴァールとペキュシェ

前の記事で、「主題」はネットワーク (「網目」とか「磁場」とかともいう) の非線形性である増幅作用を通じた類似や反復にもとづく意味作用によって、希薄で多様で移ろいやすい「意味」をようやく開示すると書いたが、その同じ仕掛け=装置へ「主題」のかわり…

ブログのリニューアル

すでにお気づきでしょうが、ブログリニューアルしました。なんでそんな気になったかというと、そもそも年金二千万円問題が話題になっていた頃、ふと「アフィリエイトに走る高齢者」という鮮やかなイメージが脳内をよぎり、それから冷静に考えて現在の銀行の…

方向音痴

方向音痴なので、右も左もわからないが、1991 年のベルリンの壁崩壊を社会主義に対する資本主義の勝利などと言うのは、決定的に間違っている気がしてならない。逆にソーシャル・ビジネスと普通のビジネスの違いも何かよくわからない。ソーシャルとわざわざつ…

ファクトフルネス

通勤電車の中で、学生さんがすごく熱心に本を読んでいるので、いったい何を読んでいるのだろうと思ったら、ベストセラーになった『ファクトフルネス』である。これだけフェイク・ニュースやネガティブ・ニュースやヘイト記事や歴史修正記事が世の中に溢れて…

資本主義としてのハリウッド映画

2007 年くらいにトルコ出身の経済学者、ダニ・ロドリック教授が提唱した 「国際政治のトリレンマ」というのは、新自由主義の歪みが顕在化し始めた頃から、しばしばその説明概念として引用されている。トリレンマというのは、「グローバル化、国家、民主主義…

落下傘は開いた

米大統領の宮中晩餐会での「おことば」を読んでいると、 私自身の貴国との最初の思い出は、1970 年の大阪万博であり、(中略) チャールズ・リンドバーグ飛行士に、水上飛行機シリウス号の操縦席に乗せていただいたことを、今でも鮮明に覚えています。 という…

思い出の曲

若者が、実際に生まれてもいない 1960 年代をなぜ懐かしむのかを不思議に思う人の方が僕には余程不思議である。自分だって生まれてもいない時代の映画や音楽が好きである。逆にこの後期資本主義の時代に最新の流行を次から次へと追いかけて消費していくスタ…

昭和の港町

淡谷のり子の『別れのブルース』(1937) を思い出すまでもなく、昭和の唄を港町の存在抜きで語ることは、平成を原発事故抜きで語ることと同じように単なる抽象に過ぎないような気がする。※ なお戦前のマドロス歌謡を代表するのは次の三曲といわれることがある…

中井正一の母

中井正一の母、千代 (広島出身) は正一を 1900 年 2 月 14 日に大阪の病院で帝王切開によって産んでいる。この当時、帝王切開による出産はまだ一般的ではなく、日本最初とまではいわずとも、施術例としてはほとんど前例がなく母子の安全は大きなリスクがある…

鉄砲玉の美学 / 五本の指

今日は、バングラデシュのラナプラザが 2013 年に崩壊して、千人以上の犠牲者を出した日であり、最近は「ファッション・レボリューション・デー 」と呼ばれている。クリント・イーストウッド、中島貞夫、ジャン・リュック・ゴダールの新作を一ヶ月ちょっとで…

日本をもっと高齢化社会に

2015 年に亡くなられた偉大なポルトガルの映画監督、マノエル・ド・オリヴェイラは、亡くなられる一年前の105 歳まで作品を発表している。クリント・イーストウッド監督も、中島貞夫監督も、明日から『イメージの本』(2018) が日本で封切られるジャン・リュ…

哀しいほど元気だった

去る 3 月 30 日に DVD が発売された『息の跡』(2015) を再々見した。作品が素晴らしいのはもちろんだが、小森はるか監督のこの作品に親しみを感じるのは、まるで日本の製造業に活気があった頃の現場のようだと感じたせいかもしれない。学生時代に講義を受け…

米 (2)

岩瀬彰さんの『「月給 100 円サラリーマン」の時代』という大変面白い本を読んでいたら、1929 年 (昭和 4 年) 、日本人は、月 15 キロ以上、つまり年間 180 キロ以上、米を食べていたとある。いまの日本は年間 50 キロ強である。バングラデシュは 2011 年の…

日本の米の一人当たりの消費量は、1962 年を戦後のピークに下がり続けて半分以下になり、2016 年にやっと少し消費が前年より増えたというニュースが流れたものの、一時的なものに過ぎず、その後も下がり続けているようだ。確か一人あたりの米の消費量の国別…