ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

吉野葛 (4)

その四 狐噲(こんくわい)「君、あの由來書きを見ると、初音の鼓は靜御前の遺物とあるだけで、狐の皮と云ふことは記してないね。」 「うん、───だから僕は、あの鼓の方が脚本より前にあるのだと思ふ。後で拵(こしら)へたものなら、何とかもう少し芝居の筋に關…

吉野葛 (3)

その三 初音の鼓上市から宮瀧まで、道は相變らず吉野川の流れを右に取つて進む。山が次第に深まるに連れて秋はいよいよ闌(たけなは)になる。われわれはしばしば櫟(くぬぎ)林の中に這入つて、一面に散り敷く落葉の上をかさかさ音を立てながら行つた。此の邊(…

吉野葛 (2)

その二 妹背山津村は何日に大阪を立つて、奈良は若草山の麓の武藏野と云ふのに宿を取つてゐる、───と、さう云ふ約束だつたから、此方は東京を夜汽車で立ち、途中京都に一泊して二日目の朝奈良に着いた。武藏野と云ふ旅館は今もあるが、二十年前とは持主が變…

吉野葛 (1)

吉野葛 谷崎潤一郞 その一 自天王私が大和の吉野の奧に遊んだのは、既に二十年程まへ、明治の末か大正の初め頃のことであるが、今とは違つて交通の不便なあの時代に、あんな山奧、───近頃の言葉で云へば「大和アルプス」の地方なぞへ、何しに出かけて行く氣…

雑記 (2)

中学生と塾で国語をやっていると、高浜虚子の例の流れ行く大根の葉の早さかなが出てきた。長い間鎌倉で虚子は暮らしていたが、最近『武藏野』を読み直したばかりなので、武蔵野の光景をこの句は詠んだのだなと直感的に思った。それで『武藏野』の文章を紹介…

雑記

高校の古文でかつて習った程度の文法知識しかない——しかも大部分は忘れている——自分であるが、それでも露伴の『對髑髏』の原文を読んでみると、規範的な文法からはかなり逸脱している部分があることに気付く。特にそれが集中しているのは、過去の助動詞「き…

対髑髏 (全)

對髑髏 蝸牛露伴作 (一) 旅に道連れの味は知らねど 世は情けある女の事〳〵但しどこやらに怖い所あり難い所我元來洒落といふ事を知らず數寄と唱ふる者にもあらで唯ふら〳〵と五尺の殼を負ふ蝸牛(でゞむし)の浮かれ心止み難く東西南北に這ひまはりて覺束なき…

武藏野 (6)

(八)自分は以上の所說に少しの異存もない。殊に東京市の町外れを題目とせよとの注意は頗る同意であつて、自分も兼ねて思付いて居た事である。町外れを「武藏野」の一部に入れるといへば、少し可笑しく聞こえるが、實は不思議はないので、海を描くに波打ち際…

武藏野 (5)

(六)今より三年前の夏のことであつた。自分は或友と市中の寓居を出でゝ三崎町の停車場から境まで乘り、其處で下りて北へ眞直に四五丁ゆくと櫻橋といふ小さな橋がある、それを渡ると一軒の掛茶屋がある、この茶屋の婆さんが自分に向つて、「今時分、何にしに…

武藏野 (4)

(五)自分の朋友が嘗て其鄕里から寄せた手紙の中に「此間も一人夕方に萱原を步みて考へ申候、此野の中に縱橫に通ぜる十數の徑の上を何百年の昔より此かた朝の露さやけしといひては出で、夕の雲花やかなりといひてはあこがれ、何百人のあはれ知る人や逍遙しつ…

武藏野 (3)

(四) 十月二十五日の記に、野(• )を步み林を訪ふと書き、又十一月四日の記には、夕暮に獨り風吹く野(• )に立てばと書いてある。そこで自分は今一度ツルゲーネフを引く。「自分はたちどまつた、花束を拾ひ上げた、そして林を去つて(﹅﹅﹅﹅﹅)のら(◦◦)へ出た…

武藏野 (2)

(三)昔の武藏野は萱原(かやはら)のはてなき光景を以て絕類の美を鳴らして居たやうに言ひ傳へてあるが、今の武藏野は林である。林は實に今の武藏野の特色といつても宜い。卽ち木は主に楢(なら)の類(たぐひ)で冬は悉く落葉し、春は滴る計りの新綠萠え出づる、…

武藏野

武藏野 國木田獨步 (一)「武藏野の俤(おもかげ)は今纔(わづか)に入間郡(いるまごほり)に殘れり」と自分は文政年間に出來た地圖で見た事がある。そして其地圖に入間郡(いるまごほり)「小手指原(こてさしはら)久米川は古戰場なり、太平記元弘三年五月十一日源…

三四郞

歴史的仮名遣いの練習の続き。「エ段」の拗長音「キョウ、ショウ、チョウ、……」がこの例文ではたくさん出てきた。以下、二種類の異なるあらわし方をまとめておく。二番目のあらわし方をするのは漢音由来の表記である。第一番目: 妙(めう)に、何疊(でふ)、敎…

セロ彈きのゴーシュ

歴史的仮名遣いの練習。(字音仮名遣いは別として)「じ/ぢ」「ず/づ」、現代発音の「わ」「い」「う」「え」「お」の文字またはその前の文字が変わることがあるだけなのだが、なかなか自然にできるようにならない。手近に歴史的仮名遣いの『セロ彈きのゴーシ…