前回の記事の意図は、バイアス自体は善でも悪でもなく、バイアスすらも適切にTPO で論理に組み込んで有効活用できるのが人間の柔軟性であり、創造性であるということである。よく、バイアスをまるで邪悪な罠であるかのように、その暗黒面しか言わない人がい…
前回の記事「古論理」を書いてから、この辺りのことを調べていたら、すごく奥が深いし拡がりもあることがわかった。だけど、いくらノリが悪いといっても、西田幾多郎とか、中村雄二郎の「述語的世界」とかの哲学をブログに書いてもなあ〜と思って、自粛して…
前回、シルヴァーノ・アリエティの『創造力 原初からの統合』を図書館で借りて拾い読みしたと書いたが、それは、彼が「古論理」とか「パレオ・ロジック」とか「フォン・ドレマスの原理」とか呼ぶものに少し興味があったからである。ちなみに、フォン・ドレマ…
アルフレッド・ヒッチコックの『めまい』(1958) の次のシーンは見れば見るほど不思議で、蓮實重彥が「ルプレザンタシオン」(1992 年春 第三号) の「周到さからもれてくるもの ヒッチコック『めまい』の一シーンの分析」でとりあげているシーンでもある。その…
真屋和子という方による『プルーストの眼:ラスキンとホイットラーの間で』(1999) という論文をインターネットで読んで、これが境界線を逸脱する話でなんかとても清々しい気分になった。ジョン ・ラスキンがジェームズ・ホイッスラーの絵画『黒と金色のノクタ…
先進的なテクノロジーが社会的なインフラを形成することで一国が成長していくという 19 世紀型モデルに現在の日本を当てはめることは困難となってきている。ここで 19 世紀型モデルと言っているのは、テクノロジーが、蒸気機関であれ、ICT であれ、遺伝子で…
『未来からきた少年 スーパージェッター』は、1965 年 1 月から 1966 年 1 月までテレビ放映されたアニメーションだが、脚本の一人として筒井康隆が参加している。いっぽう、筒井のジュブナイル小説『時をかける少女』は、学研の学習雑誌「中三コース」の196…
60 年代後半の西海岸の音楽シーンの一つの側面をごく浅く紹介。60 年代後半と限定したのは、もちろん、合衆国独立宣言から 200 年たった1976 年の「ホテル・カリフォルニア」でイーグルス (1971 年結成) が、 We haven't had that spirit here since 1969. …
いろいろと見ても、最近はそのすべての作品について書く気がない。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019) も見たけれどあまり書きたいと思わない。そもそも、タランティーノの映画とは昔からごく曖昧な付き合い方で、最初にタランティーノ…
ポール・スチュワートというと、ジョン・ハウズマンとオーソン・ウェルズが設立した「マーキュリー劇団」に初期から関与していた人物で、『市民ケーン』(1941) やロバート・オルドリッチ監督の『キッスで殺せ!』(1955) などに出演している。そのポール・ス…
『若き日のリンカーン』(Young Mr. Lincoln, 1939) は、ジョン・フォード監督が『駅馬車』(1939) に続いて撮った作品で、この年のフォードはさらに『モホークの太鼓』(1939) まで演出しているのだから、この 1939 年という年は、二度目の世界大戦が始まった…
作品の中でオープニング・タイトルを除けば、鮫は出てくるものの「虎鮫島 (Shark Island)」という単語が口にされることも、文字として表示されることも一切ない、ジョン・フォード監督の『虎鮫島脱獄』(The Prisoner of Shark Island, 1936) を見る。フロリ…
『映像の修辞学』でロラン・バルトが本当にそのような純粋状態の「意味」が単独にありえるのだろうかと留保をおきながらも仮説として採りあげているように、「比喩」とか「含意」とかといった「意味作用」を考える道筋は 、「字義通りの意味」という概念を出…
ジョン・フォード監督の『リバティ・バランスを射った男』(The Man Who Shot Liberty Valance, 1962)。蓮實重彥の初期評論で一番好きな箇所は、この映画で白いエプロンをつけてリバティ・バランス (リー・マーヴィン) と決闘するジェームズ・スチュワートに…
ジョン・フォード監督の『リバティ・バランスを射った男』(The Man Who Shot Liberty Valance, 1962) を見直したので、この時期、ポール・アンカやニール・セダカほどではないにせよ人気があったジーン・ピットニー (Gene Pitney, 1941-2006) の曲を聞いてい…