ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

虎鮫島脱獄

作品の中でオープニング・タイトルを除けば、鮫は出てくるものの「虎鮫島 (Shark Island)」という単語が口にされることも、文字として表示されることも一切ない、ジョン・フォード監督の『虎鮫島脱獄』(The Prisoner of Shark Island, 1936) を見る。フロリ…

比喩

『映像の修辞学』でロラン・バルトが本当にそのような純粋状態の「意味」が単独にありえるのだろうかと留保をおきながらも仮説として採りあげているように、「比喩」とか「含意」とかといった「意味作用」を考える道筋は 、「字義通りの意味」という概念を出…

リバティ・バランスを射った男

ジョン・フォード監督の『リバティ・バランスを射った男』(The Man Who Shot Liberty Valance, 1962)。蓮實重彦の初期評論で一番好きな箇所は、この映画で白いエプロンをつけてリバティ・バランス (リー・マーヴィン) と決闘するジェームズ・スチュワートに…

ジーン・ピットニー

ジョン・フォード監督の『リバティ・バランスを射った男』(The Man Who Shot Liberty Valance, 1962) を見直したので、この時期、ポール・アンカやニール・セダカほどではないにせよ人気があったジーン・ピットニー (Gene Pitney, 1941-2006) の曲を聞いてい…

ブヴァールとペキュシェ

前の記事で、「主題」はネットワーク (「網目」とか「磁場」とかともいう) の非線形性である増幅作用を通じた類似や反復にもとづく意味作用によって、希薄で多様で移ろいやすい「意味」をようやく開示すると書いたが、その同じ仕掛け=装置へ「主題」のかわり…

主題論的批評について

『リオ・グランデの砦』(1950) のクリップを再掲するが、もしこのクリップだけしか見ていないならば、モーリン・オハラがつけている「白いエプロン」が、白いエプロンである以上のものを参照していると考え、物語において明確に意味付けることは困難である。…

リオ・グランデの砦

このジョン・フォードの美しい『リオ・グランデの砦』(Rio Grande, 1950) は、すでに簡単に取り上げているが、また性懲りもなく書いてしまうことにする。この作品は何十回見ても、見るたびに感動してしまう。メキシコと合衆国の国境となっているリオ・グラン…

太陽は光り輝く

1859 年というから南北戦争前であるが、ダニエル・エメットによって作曲された "Dixie“ は、ジョン・フォードの作品でいったい何回使われているのだろうか?『リオ・グランデの砦』(1950) のフィナーレでは、ジョン・ウェインの傍でこの曲にあわせてモーリン…

静かなる男

アーゴシー・ピクチャーズで製作され、リパプリックから配給されたジョン・フォード監督の『静かなる男』(The Quiet Man, 1952) は映画化の構想が実現されるまで、十数年の時を要した作品である。前の記事にも書いたけれど、蓮實さんの批評が好きなところは…

主題論的批評

最近は、蓮實重彦の批評スタイルを「主題論的批評」と呼ぶことにする申し合わせがどこかでなされたのか、ネットでよく目にする。しかし、そこで語られる「主題論的批評」は昔よく使われていた「表層批評」とほとんど変わり映えしていない。 「主題論的批評」…